こんばんは。
ユウジです。

今回はタイトルの通り、どんな出来事も気持ちも音楽に変えることができるという話です。

音楽を表現する人にとって、
どこから曲はやって来るのでしょうか。

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表現という言葉は
表に現すという言葉で出来ています。
それを考えますと、
内側に何かがないと表に現すことはできません。

その表に現すものは、感情でありイメージです。

これがないミュージシャンは
何を歌っていいか、何を弾いていいかがわからずに何も表に現れて出てこないわけです。

でも楽器を弾きたいとか歌を歌いたいと思った背景には必ず理由があったはずです。

例えば
憧れのミュージシャンがかっこよく見えて、自分も弾きたいと思った。
自分もステージに立ってみたいと思ったなど。

それは、より素晴らしい自分になりたいという気持ちから
音楽を表現しようと思ったわけです。

高尚な理由じゃなくても
ギター弾けるようになって
かっこよくなりたいとか、
でも理由はいいわけです。

人間が生きているということと音楽

人間が生きていると嬉しいこともあります。
悲しいことも悔しいこともあります。

喜びや悲しみと言った言葉ではくくれないような気持ちもあります。

誰かと会えた喜びやもう会えなくなった悲しい気持ちがあったとします。

音楽の素晴らしいところ、芸術の素晴らしいところは
その気持ちを作品にできるところだと思います。

もちろん
音楽に変えてゆくには時間や勉強が必要でしょう。

でも音楽の元になるものは「気持ち」なんだということを大切にしてほしいと思います。

こういう気持ちで作られた音楽は
同じような気持ちの人の心に聴こえくるんですね。


逆に
自分の楽器の技術を見せつけるような演奏は、
なんかあまり観たくない気がしませんか。

こういうタイプのミュージシャンも多いですが、
感動が起きたことが僕はありません。
別に否定はしませんが、気持ちが動かないのはその演奏者のエゴが見えるからなのかなぁと思います。

でもまだ楽器を始めてまもないあなたは
とても純粋な気持ちで音楽に取り組んでいます。

これからどんなに技術的に上手くなっても、
気持ちを大切して演奏してほしいと思います。

 

どんなマイナスのものもプラスの音楽に昇華できる

人間が生きているとどうしようもなく悲しいこともあります。
音楽を演奏する者は それすら音楽の元になります。

楽しい曲も僕は大好きです。
ビートの効いた元気になる曲もよく聴きます。

でも気分が沈みがちな時は、
静かで悲しみが混ざった優しい音楽を聴きたくなります。

 

そうすると沈んだ心が落ち着いてきます。
これはその静かな曲を作った人の
悲しみや優しさが僕に伝わってきて
心が落ち着くのではないかなと思います。

人は沈んだ時はあまり楽しい曲を聴きたくないようです。

そう考えますと、
音楽家はどんな悲しみも
誰かの心を癒す曲にできるかもしれないのです。

そして
その場所から生まれた曲はとても生命力が強い気がします。

もちろん悲しいことがないのが一番ですけど、
時間の中で生きている限り
どうしても悲しいことはあります。

自分の中にあった悲しさが
聴いた人の気持ちを癒す歌に変わるかもしれない。

音楽を演奏する人は、
生きている中で味わうすべての感情を表現できるのです。

表現の基本は
生きている中で生まれる気持ちです。

楽器の技術が必要なのは
その気持ちの表現するために必要なんですね。

僕はそう思います。

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